【しんみり】お節介を焼かれる生き方
たまには少ししんみりしたこんな話でも。
すっごい泣いてるお婆ちゃん。
歩くことすら出来ないくらいの。
泣き崩れるという表現はよく使われるけど、余りにもショッキングな出来事があると本当にそうなるんだね。
これぞ慟哭。
小さい町医者から出てきたお婆ちゃんはこれまた別のお婆ちゃんに抱えられながら乗車してきた。
足が悪くて歩けない訳ではない。
介抱をしている方のお婆ちゃんが励ましながら少しずつ歩いてくるが、途中で何度もしゃがみこんでは咽び泣く。
無線で呼ばれた僕はただ乗車するまでドアを支えるくらいしかやる事はない。
それにしても介抱している方のお婆ちゃんのしっかりしている事。
励ましの言葉をかけ続けながらも、こちらへの配慮までする。
「ごめんなさいねぇ時間かかっちゃって」
ただ事じゃない状況で急かす訳もなく。
「ゆっくりいきましょうゆっくり」
と。
2メートルくらいの距離を5分程かかって乗り込んだ2人。
行き先は少し大きめの総合病院。
会話を聞いている限り、どうやら検査で結構な異常数値が出たために入院の出来る病院へ移動という事らしい。
それだけでここまで泣くか?
「うう、うう、猫は、猫はどうしたら」
泣きながら家の猫の心配だろうか。
この時点で配偶者は他界したか元々独身だったかが想像出来る。
孤独な老後だ。
「大丈夫よ。○○先生(多分獣医さん)に電話してあるから、明日私が預けて来る」
「あの子、あの子、あの餌しか、あの餌しか食べないのよ、ああ、どうしたら…」
「あの餌って何?」
「うう、冷蔵庫の横にあるの」
「じゃあそれも持って先生の所に行くから大丈夫よ。何も心配いらない」
「急なもんだから、私何も用意してないわ」
「大丈夫よ病院に全部揃ってるって。何も心配いらないよ。私も付いていくから大丈夫よ」
錯乱状態に近いのだけど、入院という言葉にえらく反応している様子。
ショッキングな結果と、急激に色々考えなければならなくなって脳の処理が限界を越えたのかもしれない。
猫のくだりを何回も最初から繰り返していた事からも、それは伺い知れる。
「私はこれからどうしたら…」
「大丈夫よ。今日は落ち着くまで側にいるから明日も顔出すわよ」
「本当にごめんなさい。悪いわ。時間大丈夫?悪いわね」
「私の事は気にしないでいいのよ。全部大丈夫だから」
こんな調子の会話を続けて目的地に到着した。
ここから先はどうなったか分からない。
タクシードライバーが知るのはここまで。
あの二人がどんな関係なのかは見えてこなかったけど、老後までにどのようなコミュニティを形成するかによって安心の度合いは変わってくるね。
友人なのか宗教なのか地域の繋がりなのか。
核家族化によって失われた相互扶助を補填するのは、どこのお節介お婆ちゃん?
少なくとも、誰かにお節介を焼いても良いと思われる生き方くらいはしたいものだ。