【しんみり】原爆投下を目の前で見たと言うお婆ちゃんがカッコ良すぎた話
お婆ちゃんのお客さん。
84歳と向こうから年齢を明かしてくれたけど、話しぶりは流暢で元気そう。
僕は戦中生きていた方にはやんわりと体験談を聞いているんだけど、この方は中々凄かったんですよ。
とにかくまず、自分の世代は一番苦労が無かったとしきりに言う。
これはかなり珍しい。
殆どの方は辛い時代だったと語るし、普通に考えてその通りだと思う。
でもこのお婆ちゃんは違った。
お婆ちゃん「私よりも上の世代は大変だったんだけど、私はちっとも苦労していない」
こう語る。
お婆ちゃん「戦争中だって食べ物が無くて困ったのは終戦間際の少しの間だけで、それまでは今と変わらない普通の生活をしていたんだよ」
僕「そうは言っても末期には爆弾だって降ってきたんじゃないですか?」
お婆ちゃん「それだって別に毎日あったわけじゃないのよ。数ヶ月に1、2回」
お婆ちゃん「終戦前後は確かに大変だったんだけど、私はまだ子供だったから良くわからない苦労のない世代なの。シンタロウ(石原慎太郎か勝新太郎のどちらか)と同じ世代は対して辛くなかった一番良い世代なのよ。むしろ今の若い人の方が何かと大変だと思うわ」
通常は若者disりが入りがちな所なんだけど、
こんな具合にすごくバランス感覚の優れた意見を述べる。
僕「終戦はどちらで?」
お婆ちゃん「東京出身なんだけど、親戚のいた広島に身を寄せていたの」
もろじゃねーか!
僕「ええ!?原爆の被害は大丈夫だったんですか?」
お婆ちゃん「あれは、私達はピカドンって呼んでいたんだけど、広島全域に被害が出た訳じゃなくて広島市だけよ。半径2キロ程度」
※あくまでこちらのお婆ちゃんの体験談です
僕「その範囲外にいらっしゃったと?」
お婆ちゃん「姉の通っていた女学校が広島市にあって、当日私はそこに向かっていたの。姉は工場に動員されてて、妹である私は学校を守るっていうか、学生さんが留守の間を保守する役目があったの」
お婆ちゃん「あの日もいつも通り10駅くらい手前の駅から鉄道で向かおうとしてて、でも、なんだか気が乗らなくて。ボーッとしてたの」
お婆ちゃん「そしたら駅員さんが、”お嬢ちゃん?乗らないの?もう出発するよー?”って声を掛けてくれたんだけど、どうしてか億劫で、その鉄道には乗らなかったの」
お婆ちゃん「そのままボーッと見送って、駅で広島市の方を眺めていたら、ピカッて」
僕「見えたんですか?」
お婆ちゃん「今みたいに高い建物がたくさんあった訳じゃないし、良く晴れた日だったから全部見えた。広島市の方角から強い光が見えて、縦に、大きな煙が上にのぼっていった」
僕「きのこ雲ですか?」
お婆ちゃん「そう。でも最初はきのこじゃないの。縦長の煙がず〜っと立ち上って、暫くしてからきのこ型になっていった」
僕「とてつもない経験ですね…」
お婆ちゃん「爆発後の黒い雨が有名だけど、その日の夜にもものすごい雨が降ったのを覚えている。これは誰も言わないけど滝のようなすごい雨だったのよ」
僕「そうでしたか…。いやぁ…そんな経験をされているにも関わらず苦労もなくという感覚が分かりませんよ」
お婆ちゃん「それでもうちの家族は無事だったし。終戦後は私の親や姉は大変だったと思うけど、私は苦労もなく大きな病気もなくこの年齢まで幸せ者だったわ」
目的地に着いたら「また乗せてねー」と言いながら降りていったお婆ちゃん。
もちろん当事者にも様々な考え方があるとは思うけど、ここまで俯瞰で見ている意見は珍しくて。
これを一つの体験談として直接聞けた事も貴重だけど、このお婆ちゃんの過去との向き合い方、今の生き方の方に僕は射抜かれちゃいました。
とてつもない財産になりそう。
いやーやっぱこういう事があるからタクシーはやめらんない。