【しんみり】大正生まれのお婆ちゃんに戦争体験を聞いてみた
世田谷区でタクシーやってると、お爺ちゃんお婆ちゃんのお客さんお乗せする事が多いんですね。
中には80代とか90代とかいうお年寄りも結構いてね、そういった人には僕は戦争体験を聞き出す事にしているんですよ。
辛い体験かと思いきや向こうも積極的に色々話してくれる事が多くて、そういった生の声を聞けるってのはタクシーの醍醐味なんだろうなぁ。
先日の大正生まれだっていうお婆ちゃんからはこんな話を聞けた。
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元々東京の文京区に住んでたっていうからさ。
僕「東京のど真ん中だから、戦争末期は空襲が多かったんじゃないですか?」
聞いてみたんですよ。
お婆ちゃん「うちの所は全然大丈夫だったのよ?」
あれ。
意外と場所によっては被害が少なかったのかな。
お婆ちゃん「月に1回焼夷弾が降ってくるくらい」
ぼちぼちやべーじゃねぇか
お婆ちゃん「あの3月の大空襲の時は私の所はそんなに被害なかったのよ」
僕「あ、そうだったんですか?下町の方はあの日に壊滅的な被害を受けたようですが、文京区は意外と平気だったんですね」
お婆ちゃん「4月の空襲で家が焼けちゃったけどね」
4月!
僕「どこか逃げる防空壕みたいのはあったんですか?」
お婆ちゃん「防空壕はないからみんな神社に避難したの」
僕「そうですか」
お婆ちゃん「下町に住んでた友達は大空襲の日は大変だったって言ってたわよ。とにかく喉が熱いからボウフラが湧いているような水でも平気で飲んだって」
文京区と台東区は近いけど、被害の深刻さには差があるみたい。
お婆ちゃんの近所では3月に少し。
4月で家に直撃。
5月でも近所に少し降って来たそうで。
これで全然大丈夫だったとか言っちゃうんだからやっぱすげー時代だな。
お婆ちゃん「工場に勤めてたんだけど、外に出てたら機銃を撃たれた事もあったのよ」
もうこうなってくると制空権もへったくれもないなぁ。
お婆ちゃん「友達が爆弾で亡くなったっていう場所を見に行った事もあったわねぇ。へぇ~ここで~って思ったもんよ」
感想の熱量が出来事のわりに少ねぇなって思ったけど、きっとそういう時代であり、そういう乗り越えられる人だから元気に長生きしているんでしょうね。
お婆ちゃん「だからもう私達の世代はどんな出来事でも耐えられるのよ」
僕「なるほど」
お婆ちゃん「けど10年前に捻挫してからあまり長い距離歩けなくなちゃってねぇ。膝じゃないから歩けるけど、痛みはやぁねぇ」
最後にそういうと、成城学園前駅の改札に向かってゆっくり、杖も無しに歩いていった。
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